労基法大改正を「人材戦略によって活用する」というのはどういうことか~リスクマネジメントと価値向上:松井勇策

労基法大改正の戦略的活用:リスクマネジメントと価値向上

2027年に予定されている労働基準法の大改正は、単なる法制度の小規模なアップデートではありません。

日本の雇用社会が直面する構造的な変化に対し、国が示す「未来の働き方」へ大きく進む機会です。この歴史的な変革について、法令や行政の発信情報をよく理解し、働く方がより働きやすく、企業が新しいルールに対応した体制を作る「法令遵守とリスク管理」という視点はまず重要です。

しかしそれと共に、現段階で出ている方針に応じて、積極的に対応していくことが可能であると考えられます。この変化を「事業機会と価値創造の触媒」と捉え、積極的に事業や組織人事を進化させることができるのではないでしょうか。

 

法改正の根源的趣旨:「守る」から「支える」への転換

まず、この法改正がなぜ今、これほど根本的なレベルで議論されているのか、その経緯と趣旨を正確に理解することが不可欠です。

厚生労働省から2023年12月に発出された「新しい時代の働き方に関する研究会報告書」では、その背景として、旧来の長期雇用を前提とした画一的な働き方から、個人のライフステージやキャリア観に応じて多様な働き方を望む労働者が増えているという、社会の大きな変化が指摘されています 。技術革新によるリモートワークの普及や、副業・兼業、フリーランスといった多様な就業形態の拡大も、この流れを加速させています 

こうした状況下で、報告書は労働基準行政の役割について、従来の「守る(心身の健康や労働条件の最低基準を保障する)」という不変の役割に加え、これからは個々人が望む働き方の実現を「支える」という新しい役割が重要になると明確に述べています

つまり、今回の法改正の根源的な政策目的は、もはや一つの「正解」が存在しない働き方の世界において、個人の自律的なキャリア形成と、企業の持続的な価値創造を両立させるための、柔軟で強靭な社会基盤を再構築することにあると言えるのではないでしょうか。これは2022年頃から本格化した「人的資本経営」の目指すものと同じであり、人的資本経営の人材戦略と接続して、機会として活用していくことで、働く価値を大きく創造していけるものと思います。

 

2つの視座:「リスクマネジメント」と「価値向上」

今までに見てきたように、この大法改正という大きな変化に対し、企業や専門家が取りうる視座は大きく2つあると考えられます。そしていずれも重要だと思います。

一つはどちらかというと「リスクマネジメント」の視点です。これは、法改正を「遵守すべき新たな義務」と捉え、そのルールを正確に理解し、自社を法的な紛争や行政指導、レピュテーションの毀損といったリスクから「保護する」アプローチです。

例えば、「過半数代表制の改善」という論点に対し、厳格化された選出プロセスを完璧に実行・記録することで、36協定の無効リスクを回避する。あるいは「連続勤務の制限」に対し、勤怠システムで物理的なロックをかけ、いかなる場合も違反が起きない体制を構築する。この視点はまず非常に重要であり、コンプライアンスリスクを見極めた整備が必要となります。

しかし同時に「価値向上」視点が重要であり、これを早いうちから意識して事業や人材戦略に役立てていくことが重要でしょう。
これは、法改正を「自社の人的資本戦略を飛躍させる好機」と捉え、その変化を戦略的に活用して、企業の競争優位性や組織文化、ひいては企業価値そのものを向上させるための攻めのアプローチです。この視点に立つと、法改正の各論点は、単なる規制ではなく、自社のありたい姿を実現するための「強力な経営ツール」へとその姿を変えます。

なお、この「リスクマネジメント」と「価値向上」は、 人的資本可視化指針に出てくる言葉となります。

リスクマネジメントを固めたうえでの、価値創造の視点による労基法改正の「最大限の活用」

では、価値創造の視点に立つと、法改正の主要な論点は、どのように人的資本経営の人材戦略や、事業機会として活用できるのでしょうか。
以下は一案であり、様々な創造的な視点があり得ると思います。

例えば、中長期的な論点である「労働者性判断基準」の見直し。リスクマネジメントの視点では、「偽装請負」と判断される法的リスクをいかに回避するかが主眼となるのかもしれません。
しかし価値創造の視点では、これは
「自社の人的資本の範囲を再定義し、オープンなタレントエコシステムを構築する機会」と捉えられます。もはや正社員という枠に固執せず、高度な専門性を持つフリーランスや外部人材を、企業のパーパスに共感するパートナーとして戦略的に巻き込み、プロジェクトごとに最適なチームを組成する。これにより、組織は硬直化を防ぎ、常に最先端の知見を取り入れ、イノベーションを加速させることができます。

短期的な論点である「企業による労働時間情報開示」「勤務間インターバル制度」などの労働時間法制の見直しも同様です。リスクマネジメント的には、開示義務の遵守や、インターバル不足による罰則の回避が重要です。しかし価値創造の視点では、これらは「時間管理(インプット)から知的生産性とウェルビーイングの最大化(アウトプット)へと、働き方の価値基準を転換する絶好の機会」となります。「我が社は、従業員の休息と心身の健康こそが創造性の源泉であると信じている」という強いメッセージを、制度とデータの両面から社会に発信するのです。これにより、健康経営を重視する優秀な人材を惹きつけ、従業員のエンゲージメントと生産性の好循環を生み出すことができます。

あるいは「労使コミュニケーションの深化」に関する論点。リスクマネジメント的には、労使協議の手続きを正しく踏むことで、紛争を未然に防ぐことが目的です。しかし価値創造の視点では、これは「形式的な対立構造から、心理的安全性の高い『共創のパートナーシップ』へと労使関係を昇華させる機会」だと捉えられるのではないでしょうか。従業員一人ひとりの声に真摯に耳を傾け、それを経営に活かす仕組みを構築することで、現場起点のイノベーションが生まれ、組織全体が学習し進化する「ラーニングオーガニゼーション」を創り上げることができます。

これらの大枠の方向性をなるべく平易にまとめ、基本資料とできるようにしたのが、本サイトで配布している「労基法大改正 戦略レポート」となります。

労基法改正の議論や制度を最大限に尊重しつつ、「きっかけとして活用し」未来を構想する必要性

2027年の労基法の改正は、法改正の根底にある社会的・政策的要請を深く理解して対応すべき大きな有益な機会だと思います。それを企業の価値創造に繋げるための戦略を描き、考え、かつ働き方の中で検証していくということも重要になります。

法令政策は、人々の行動や社会のあり方を変える、最も強力な経営ツールの一つです。このツールを、遵守によるリスク回避という側面でまず捉えると共に、価値創造という側面から攻めに活用する。その複眼的な視座を持つことこそが労基法大改正の大きな価値となるものと私は確信しています。
そのための基本的な論点をまとめたのが「労基法大改正 戦略レポート」となります。今こそ、法改正の論点一つひとつを、未来の事業機会と人材戦略に接続する知的な挑戦を始めるべき時なのではないでしょうか。

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