同志社大学名誉教授 太田肇先生インタビュー:2027年労基法改正と働き方の未来

同志社大学 政策学部名誉教授の太田肇先生に、労基法改正についてiU組織研究機構の松井がインタビューさせて頂いた記事です。太田肇先生は本インタビュー中にもあるように、自立を重んじる働き方を一貫して主張され、第一人者として長年にわたり社会的問題の真因から働き方の改革を訴えていらっしゃいます。
1 太田先生の思索の価値と、労基法改正によって目指すべきもの
松井:本日はお忙しい中、お時間をいただきありがとうございます。本日は2027年に予定されている労基法改正について、太田先生のご見解をお伺いしたく思います。
まず前提として、太田先生のお仕事に接する度にその価値の大きさに驚かされております。先日の太田先生のご講演会で、先生のご講演の前に大変恐縮ながら「太田先生の思索の巨大な価値」ということで少しお話をさせて頂きました。
内容としまして、先生の著書は、1996年の「個人尊重の組織論」など初期のご著作から、最新の「日本型組織のドミノ崩壊はなぜ始まったか」まで拝読させていただいておりますが、一貫して「個の自立」という軸が貫かれており、この25年以上にわたる思想的一貫性には本当に敬服いたしておりますこと。
また特に私が最も深く学びを得ているのは、先生の思想が持つ二つの側面の高度な両立です。一つは、現代社会が抱える様々な問題の本質を深く洞察されていること。そしてもう一つは、そうした社会問題の分析が、常に働く現場での具体的な解決策に結実していることです。
この「社会の真因分析」と「働く現場での実務的解決策」を高いレベルで両立させている思潮は、グローバルに見ても他に類を見ないのではないでしょうか。
そして何より印象深いこととして、先生が一貫して主張されてきた、自律的な働き方や個の尊重といった考え方が人的資本経営という政策概念の最も深い側面への考察だと思いますし、来る2027年の労基法改正で、さらに本格的な働き方の変革につながる可能性があり、先生のお考えのさらなる具現化のような機会だと考えられることをお伝えさせて頂きました。
太田先生:こちらこそ、ありがとうございます。そのようにおっしゃっていただけると、これまで長年にわたって考え続けてきたことが、現実的な意味を増してきているのだなと実感します。
労基法改正ということについて、まずすぐに思いつきますのは外国との雇用制度比較で分かったことについてですね。現在、デンマークや中国の調査を行っていますが、両国とも雇用労働者とフリーランスの境界が非常に曖昧になっています。
海外の事例の働き方はかなり柔軟なんですね。例えば、日本では労基法に引っかかって難しいだろうと思われることも、特に中国などではかなり柔軟に運用されている。労働時間管理になじみにくい働き方などは独立すれば日本でもやりやすいのですが、雇用の中でそのような働き方をするというのは日本では制約が多い。
今回の改正で、雇用されていても、もっと柔軟に働けるような環境作りが法律の面から進むことを期待しています。
2 労基法改正が目指す変革の要点 ~「制度を戦略的に使う」こと
松井:太田先生の仰る通り、今回の改正の全体像を見ると個別のルール変更だけでなく、働き方そのものの自由度を高める方向性が見えてきます。
具体的には、企業単位での労使協定締結の柔軟化、フレックスタイム制をより自由に組み合わせられる仕組み、労働時間情報の開示義務、労使コミュニケーションの深化など、より自律的で自由な働き方を促進する内容になっています。またさらにこれらをITで管理することで、より柔軟な運用が推奨される方向性です。
こうした制度について、どんな点が重要だと思われますか?
太田先生:重要なのは、制度の細部の各論に縛られて、本来の趣旨が生かされないことを避けることですね。これまでもそうした制度の運用における落とし穴はよくありました。制度の各論を守ること自体が目的化してしまい、働き方の進化という目的が見失われ、働く人の実際の利益につながらないケースが多々ある。
海外の事例を見ても、フリーランスと雇用労働者の実際の働き方は地続きのようになっている。現状の課題として、そこに労働法が大きな壁を作ってしまうのは無理があると感じています。これをより働きやすく、現代の社会に合う、自律的で自営的で価値が大きくなるような働き方を目指すのが制度の目的だと思いますが、これをよく理解することが重要だと思います。
松井:お教えをありがとうございます。そのような、働く付加価値を向上させるような方向性の政策に対してよく出てくる懸念が「労働者保護が欠けるのではないか」というものです。こういった労働者保護の観点はどのように考えればよいのでしょうか。
太田先生:そうですね。確かに、日本の労使の力関係は企業優位が顕著ですから、そのブレーキは必要です。
しかし重要なのは、本人が選択できるかどうかだと思います。ハーシュマンの理論で「Exit」と「Voice」という概念がありますが、労働組合を通じた発言(Voice)も、最終的には退職という選択肢(Exit)があって初めて力を持つわけです。ひたすらに囲い込む、ひとつのところで働き続ける、という雇用の考え方があまりに一般的な状況は、結局は働く方にとっても不利になってしまうのではないかと思います。
3 一貫した思想の背景にあるもの
松井:太田先生は25年以上前から一貫して自律的な働き方について発信されていますが、私がお読みした最初の書籍である「個人尊重の組織論」から、最新の「自営型で働く時代」「日本型組織のドミノ崩壊はなぜ始まったか」まで、「個の自立」という軸が一貫していることに驚きます。そもそもこうした考えを持たれるきっかけは何だったのでしょうか。
太田先生:私自身が公立の研究機関にいた経験が大きいですね。当時は研究開発の人やデザイナーなど、ごく一部の専門職だけが自律的な働き方をしていました。私が最初に研究で取り上げたのも、企業の中の研究者や技術者、つまり「プロフェッショナルと組織」という関係だったんです。
組織のあり方が個人の力を発揮する上で、むしろ妨げになっているのではないかと感じることがありました。「組織は何のためにあるのか」と思うことが多々ありましてね。
そして当時は一部の専門職だった問題が、今はそれがもっと他の職種、さらには雇用の全体において、自立的な働き方が目指される方向になりつつあり、重要性が広がってきているのではないかという印象です。
松井:太田先生の著書を拝読していると、自律・自由を重んじるところがありながら、単なる新自由主義的なリバタリアンや、極端な実力主義とは全然違うことがよくわかります。全ての方の自立を確保することが重要であると一貫して主張されていますね。最新の「日本型組織のドミノ崩壊はなぜ始まったか」では、コンプライアンス課題が組織論と完全に結合して、組織はインフラであり、個人が自立していることでコンプライアンスも守られるのだという実務的な接続が、非常に説得力をもって示されています。
太田先生:ありがとうございます。組織というものは、道路や電気と同様に、個人の力を最大化するための基盤、つまりインフラであるべきだと考えています。個人を束縛するものではなく、支援するものとして機能すべきです。
今回の労基法改正により、一人一人が自律的に判断できる環境が整備され、多様性と創造性を生かし、真の個人を生かす組織が実現できるのではないかと期待しています。本当にそういう目的が意識されて活用されれば、大きな転換点になる可能性があります。
4 新技術について~AIとマネジメントが描く組織の未来
松井:AIとロボティクスの進展についてお聞きしたいと思います。今回の労基法改正では、直接的にこうした技術の進展を扱う論点はそれほど多く公的に発信されているわけではないのですが、AIやロボットの進展は、個人の自由をより進めるツールという側面もあれば労働の代替という課題もあります。特にクリエイターやエンジニア職においてはもう現実として労働の代替が起こってきていることですが、どう向き合えばよいでしょうか。
太田先生:実はそれは今、関心の強いテーマですね。まだ全体像を貫く一つの理念や方向性は定められないんですが、各論レベルではいろいろ考えるところがあります。懸念しているのは、AIのリスクが非常に強く主張される意見をよく聞くようになってきたことです。AIの使用に制約を設けることが妥当性を削いでしまうようなことがあるのではないか。
例えば、一例ですがマネージャーの役割をAIが担うことなどですね。極論すると、本当にマネージャーって本当に人間である必要があるのか。こういう問いも立てられるのではないでしょうか。AIに使用制約を設けて中途半端にそこに人間が関わることによって、たとえばAIがさらに進化して、公平性が保たれるような結果を出してきたときに、人間が逆にその妥当性を歪めてしまうリスクにも気をつけないといけないなという気がします。
松井:なるほど。流動性を高めて選択できる環境を整えることが、むしろ労働者の自立性を促し、結果的に保護にもつながるということですね。
太田先生:そうです。こうしたAIの問題は、組織と個人の問題と共通しています。これまでは労働者にとって不利だからと企業の中に囲い込んできたと思いますし、それを社会的な制度が後押しもしていた。それが結果として個人の力になっておらず様々な問題を生んでいる。同様に、AIが行うことに制約を設けることも、どこまで行うかということは考慮が必要です。
こうした制度による縛りの妥当性については、ミルの「他者危害原則」、他人に迷惑をかけない限り自由だという、最もシンプルな原則に戻るのだと思います。個人の行動の自由は最大限に尊重しながら、組織の自由は制限していく。一人が他の人を犠牲にしてまで欲望を満たすことは認められない。そこに一定の税制による富の再分配だとか、セーフティネットを張るとか、こういう形で平等を図るということが必要だと考えています。
松井:本日は貴重なお話をありがとうございました。2027年の労基法改正を、単なるルール変更ではなく、真に個人を生かす組織への転換点として捉える重要性がよく理解できました。また、AIやマネジメントの未来についても、従来の発想を転換する必要があるということが印象的でした。
改めて、先生の四半世紀にわたる一貫した思想が現実化してきているし、より重要なものになってきているということを感じました。こうした機会を頂けて大変光栄です。
太田先生:こちらこそありがとうございました。個人の力を最大化するための基盤として組織を捉え直し、多様性と創造性を生かした真の個人主導の働き方が実現できることを期待しています。労基法改正が、これまで25年以上にわたって発信してきたことが、少しでも現実のものとなるよう念願しています。
投稿者プロフィール
- 松井勇策
- 雇用系シンクタンク (一社)iU組織研究機構 代表理事
情報経営イノベーション専門職大学 客員教授(専門:人的資本・雇用政策)
社労士・公認心理師・AIジェネラリスト/WEBフロントエンジニア。現代の「働き方」の先端的な動きや、最新の組織技術の人的資本経営等の専門家。多くの企業へのコンサルティングやセミナー等を行う。日本テレビ「スッキリ」雇用コメンテーター出演経験、著書「現代の人事の最新課題」他、寄稿多数。株式会社リクルート出身、採用/組織人事コンサルティング、のち東証一部上場時の事業部の内部統制監査責任者を歴任。
- カテゴリー
- 情報発信・活動記録